先月号の本誌で「この俳句、さっぱりわからん」という特集を組んだ。この企画は、私が日頃ぼやいている言葉をそのままタイトルにしたものである。プロローグとして編集長の林誠司と編集顧問の大井恒行との対談を載せている。句作りにおいて平明を標榜する林と難解を自認する大井との議論はどこまでいっても噛み合わない。同じ特集の中で、いわゆる“難解派”と称される俳人9名が自句自解を書いている(1名は他者の句)。その解説文がまた私にとっては難解である。この企画に対して多くの反論が寄せられるだろうが、それが本誌の狙いでもあるのだ。私の先師加藤楸邨は自身の難解俳句について問われたとき「わかるという点で犠牲を払ってでもカオスに対して体当たりしていくよりほかに仕方ない」と答えている。“カオス”を辞書で調べると「混沌。天地創造以前の状態。すべての事物を生みだすことのできる根源」とある。楸邨ならではの含蓄ある言葉だ。その楸邨に〈天の川わたるお多福豆一列〉という句がある。私にとっては永遠に解けない謎の一句である。
月刊「俳句界」2010年8月号 編集後記より
岩手県遠野町(現・遠野市)に伝わる民話を柳田國男が古老から聞き書きした『遠野物語』が発表されたのは1910年。今年ちょうど100年目にあたる。柳田は日本における民俗学の開拓者として名高い。その柳田と並んで評価されるもう1人の民俗学者に宮本常一がいる。宮本の代表作に『忘れられた日本人』がある。同著の中の「土佐源氏」は宮本の著述の中で最も良く知られ、高い評価を受けている。「土佐源氏」の源氏とは、源氏物語の光源氏にちなんだもので、多くの女性遍歴をもつ馬喰(ばくろう)の告白を綴ったものである。物語の舞台は土佐檮原村(現・高知県檮原町)。四国山脈の中腹に位置する辺境の地である。昨今は坂本龍馬脱藩の道がある所として観光客が押し寄せていると聞く。ルポライター毛利甚八氏は著書『宮本常一を歩く』(小学館刊)の中で、「土佐源氏」に出てくる馬喰は宮本の創作であり、ノンフィクションではないと断じている。その一方で「文学的達成であり宮本の本懐だった」とも指摘している。「土佐源氏」の虚構は水原秋櫻子のいう〝文芸上の真〟に通じるものかもしれない。
月刊「俳句界」2010年7月号 編集後記より
本誌の投句欄はことし1月号から兼題部門、雑詠部門の選者が2名ずつ増えて両部門の選者は計12名となった。これにより2名以上の選者が選ぶW特選賞が増えるだろうと予測していたが、フタを開けてみると意外にそうでもない。1月号から5月号までのW特選賞は兼題で1句、雑詠で5句のみである。このことは本誌の投句欄のレベルの高さを示しているとも言えるだろう。朝日新聞の「朝日俳壇」は週6000句の投句があるという。それを4人の選者が10句ずつ計40句を選ぶ。入選率は150分の1である。仮に、朝日俳壇の選者が8名とか10名に増えたならそのぶんだけ日の目をみる句が増えることになる。全国で毎年開かれる“大会”と名のつく俳句コンクールでも同じことが言える。無名俳人の膨大なボツ句の中にひょっとしたら芭蕉や虚子の1句に匹敵するような秀句が埋もれているかもしれない。そんなことを想像するとなんだか悲しいような、わくわくするような複雑な気持に駆られる。う~ん、俳句ってやっぱりオモシロイ!
月刊「俳句界」2010年6月号 編集後記より
最近の月刊「俳句界」はなかなか面白いですね、と褒められることがある。お世辞半分としてもうれしいことである。私が、「俳句界」の発行を引き継いだのは2003年の5月号から。そのころ俳句総合誌は8誌あったが、マラソンにたとえるなら「俳句界」は先頭グループから大きく引き離されて息もたえだえに、どん尻を走っている状態だった。あれから満7年。途中、なんども躓いたり回り道をすることもあったが、最近やっと先頭ランナーの背中が見えるところまで追いついてきたと自負している。とは言ってもライバルは強敵ばかり。体力勝負では太刀打ちできない。ここは小出版社ならではの大胆な企画力で差別化を図るしかない。先月号の「佐高信の甘口でコンニチハ!」の中で、作家の森村誠一氏が山口誓子の句<海に出て木枯帰るところなし>を取り上げて「覚悟の句だなと思います。作家たるものかくあるべし」と語っている。身の引き締まる言葉である。出版界という大海原へ舟を漕いで出た以上、今さら引き返すことはできないと決意を新たにするものである。
月刊「俳句界」2010年5月号 編集後記より
NHKの大河ドラマ『龍馬伝』の影響で、ちょっとした土佐弁ブームらしい。若者の間でも「待っちょるぜよ」などの土佐弁をまじえた会話やメールが増えているとか。1950年ごろ、方言は「田舎者の言葉」という理由から、方言撲滅を目的とした標準語教育が行われた。私が通っていた小学校では「方言切符」が配られ、うっかり方言をしゃべると切符を1枚徴収されるという罰ゲームもあった。日本の高度経済成長期に集団就職で都会へ働きに出た少年少女たちは、ふるさとの訛りをからかわれて悔し涙を流した。いま、自分たちの方言を見なおそうという機運が各地で高まっている。地方へ行くと駅前にお国ことばの歓迎看板を見かける。素朴な人情味が感じられてうれしくなる。鳩山政権は「地方分権」を掲げるがその政策は心もとない。方言復活こそが日本再生のキーワードと言いたい。本誌が募集した「第2回方言俳句」の入選作が今月号に発表される。私はまだその内容を知らないが、どんな作品に出合えるか楽しみにしている。
月刊「俳句界」2010年4月号 編集後記より
本誌1月号の「作品六句鑑賞」欄で中上哲夫氏の次の文が目にとまった。「忌日が苦手だ。歳時記をひもとくと、忌日一覧が載っているけど、俳人にかぎらず、忌日がなかなか覚えられないのだ。その結果、忌日を読んだ句は季がわからない」――同感である。俳句は一読して感動することがたいせつ。歳時記や辞書を調べてから鑑賞となると、感動が間延びしてしまう。私が知っている忌日はせいぜい「西行忌」と「時雨
忌」くらい。「西行忌」は〈願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ〉という西行の歌と〈花あれば西行の日とおもふべし〉という角川源義の句をセットで覚えているからである。「芭蕉忌」となると、さていつだったけと考えこむが「時雨忌」というと印象鮮明である。加藤楸邨に〈芭蕉忌やはなればなれにしぐれをり〉という句がある。この句は〈旅人と我が名呼ばれん初しぐれ〉という芭蕉の句と呼応しているのだが、留意すべきは楸邨句の季重なりである。忌日の句は季重なりとなっても季節のわかることが肝要であろう。
月刊「俳句界」2010年3月号 編集後記より
本誌12月号で、眞鍋呉夫氏と正木ゆう子氏が「雪女」について対談している。眞鍋氏は平成4年、句集『雪女』で読売文学賞を受賞。昨年刊行された『月魄(つきしろ)』にも雪女の句が数多く収録されている。いまや雪女の句といえば眞鍋呉夫、眞鍋呉夫といえば雪女の句と言われるほどである。一つのテーマをライフワークとして詠みつづけることは容易ではない。ことに「雪女」のような幻想世界をあたかも現実に目にしたかのように新鮮なトリックで読者に感銘を与える表現力は、小説家ならではの想像と創造の賜物であろう。たまたま手元にあった俳誌「童子」(平成21年11月号)を読んでいたら、辻桃子主宰の次の文が目にとまった。――〈甚平は鍛冶師の兄の形見かな 齋藤耕牛〉 おなじみ耕牛さんの鍛冶師ものだ。この甚平も泣かせる。一生一つのテーマで作りつづけてほしい。句作りとは一生自分にしか描けないことを描くことなのだ――眞鍋呉夫氏の「雪女」の句にも通じる評文である。俳句とは、十七音の詩を紡ぎつづけながら書き上げる大河ドラマなのだ。
月刊「俳句界」2010年2月号 編集後記より
インターネットなどによる情報の多様化で活字メディアの未来は暗い。新聞王国イギリスの有力紙「イブニングスタンダード」は昨年秋から無料配布に踏み切ったという。日本の新聞社の中でも超優良企業とみられていた朝日新聞社と日本経済新聞社が2009年9月中間決算でそろって赤字という。つい最近までわが世の春を謳歌していた新聞・テレビなどのマスメディアは生き残りをかけて熾烈な競争を繰りひろげている。ましてや俳句という小さなジャンルの出版社の実情は推して知るべしである。俳句雑誌の出版で黒字を計上することは、空飛ぶ鳥を草矢で撃つようなもの。いま、俳句総合誌を発行する出版社はNHKを含めて七社ある。その中でも「文學の森」は社歴も浅く経営基盤も脆弱である。だが、会社は小さくとも雑誌づくりにかける情熱と編集内容で日本一の座を獲得することはユメではないと信じている。「夢」を国語辞典で調べると「容易には実現できないこと」とある。そのユメを追って新しい年のスタートを切ります。
月刊「俳句界」2010年1月号 編集後記より
「もういくつ寝るとお正月」というわらべ唄を思い出す時節となった。俳句では「数へ日」という。いい言葉だと思う。まだまだ先のことと思っていたことが、あっというまに迫ってきて、あっというまに遠い過去となっていく。新年会の席で「もうすぐ正月が来ます」と挨拶すると居合わせた人たちはどっと笑うが、その笑いの中に“そうだよなぁ”という空気がまじっていることを感じる。加藤楸邨先生から「60歳を越えたら矢のように時間が過ぎていきます」という手紙をもらったことがある。そのころ40歳そこそこだった私はその手紙を他人ごとのように思っただけだった。数年前、筑紫哲也氏から「歳月人を待たず」という葉書をもらったときは自分のことにひきつけてしみじみ考えた。その筑紫哲也氏も1年前にこの世を去ってしまった。鬼が笑うひまもなく2010年に突入する。
数へ日の松風をきく齢かな 勝又一透
松過ぎの又も光陰矢の如し 高浜虚子
みなさまどうぞ良いお年を。
月刊「俳句界」2009年12月号 編集後記より
この二、三年の間に総合雑誌や婦人雑誌がつぎつぎと廃刊に追いこまれた。雑誌は面白くなければ読まれない。俳句総合誌といえどもである。いま、俳句総合誌は七誌あるが、表紙を剥がしたら中身はどれも似たり寄ったりという批判を聞く。では具体的にどうすれば差別化を図れるか。“面白い”内容とはどんな企画か。思いうかぶ案は手垢のついたものばかり。こんなときは読者の声を聞くことがいちばん参考になる。七月号から「読者アンケート」のハガキを添付している。本誌に対する要望・提案や辛口のご意見等をお待ちしております。
※11月26日(木)、東京で「読者交歓パーティー」を開催します。日頃、なかなかお目にかかることのできない読者のみなさまと親しくお話しを交わしたいと思っております。読者にとっても投句欄のライバルや選者の先生方にお会いできるチャンスでもあります。お誘い合わせのうえ一人でも多くご参加くださいますようお待ちしております。
月刊「俳句界」2009年11月号 編集後記より
「文學の森」を興して満七年目となる。当初は三年も経ったら誰か若い人に後を継いでもらうつもりで始めたが、赤字経営から脱却できないまま今日に至っている。今となってはこの仕事が私のラストステージだと考えている。最後の仕事という意味だけでなく人生の締めくくりとしてこの仕事をやりとげたいと心に決めている。社員十九名。労働条件も職場環境も決して恵まれてはいないが、全員黙々と頑張ってくれている。深夜、編集部に電話をするといつも必ず誰かが残業している。そんな努力が実ってか、ことしになってから本誌の販売部数が毎月確実に伸びている。目標を決めて肚を据えたら零細出版社の経営もそれなりに楽しいもの。とは言っても個人の体力には限界がある。「文學の森」をいつ誰にバトンタッチするか。俳句結社と俳句出版社は似て非なるもの。だが組織の継続継承の難しさはどこか相通じるものがあるかもしれない。今月号は「結社継承」について考察した。
月刊「俳句界」2009年10月号 編集後記より
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
三好達治の有名な二行詩である。この詩は蕪村の墨画「夜色楼台雪万家図」の讃として生まれたというエピソードが、七月、NHKの『日曜美術館』という番組で放送されたのでご覧になった読者も多いだろう。実は、この話を初めて世に紹介したのは山本健吉である。昭和五十九年、毎日新聞社刊『蕪村画譜』という画集の序文で次のような裏話を書いている。三好達治と親しかった俳人の石原八束が訪ねて来たおり「三好さんは、あの詩は蕪村の『夜色楼台雪万家』というのがあるでしょう。あれだって言うんですよ」という話を洩らしたというくだりがある。もし、石原八束が山本健吉に話していなかったら、この逸話は永久に人々に知られることがなかったかもしれない。それにしても三好達治の詩のなんと美しくも哀しいことよ。現代俳句が忘れて久しい原初の“愛”が胸をうつ。抒情俳句の復興を願って特集を組んだ。
月刊「俳句界」2009年9月号 編集後記より
もはや戦後ではない
この言葉は、1956年の経済白書のなかで使われ流行語になった。日本の経済成長はその後も続き、世界に冠たる経済大国となった。敗戦による荒廃と飢餓の記憶は当時を知る世代の減少とともに忘れ去られようとしている。だが文学はあの大戦がもたらした悲劇を永遠に忘れてはならない。角川春樹編『現代俳句歳時記』には「敗戦忌」について「戦争の過ちを繰り返さぬようその体験を後世に伝え、平和への誓いを新たにすべき日」とある。昨今、憲法の見直しと軍備力増強が声高に言われている。8月号を敗戦忌特集とした所以である。
月刊「俳句界」2009年8月号 編集後記より
晩年の加藤楸邨は「寒雷」の会員の中から3年に1回、新しい同人を推挙した。その人数はわずか4、5名。しかも同人会の幹部が進言しないと4年も5年も新同人を推挙しないこともあった。「寒雷」に入会して30年を越すのにどうして自分は同人になれないのか、と楸邨に直談判に行った猛者もいたという。同人に推挙された者は翌月から楸邨の選を受けることはできない。「これからは自分の思う道を自由に歩みなさい。たとえ野垂れ死にしようとも私はいっさい関知しません」というのが楸邨のはなむけの言葉であった。その楸邨門から多様な俳人が育っていった。これを「楸邨山脈」という。7月3日は楸邨忌。
月刊「俳句界」2009年7月号 編集後記より
俳句総合雑誌に載っている俳句が面白くないというご批判をいただくことがある。俳句雑誌の俳句が面白くないと言われると、はたと考え込んでしまう。寿司屋の寿司が不味いと言われるようなものである。面白い、面白くない。美味しい、美味しくないという意見は個人差もあるので、一概には言えないが、雑誌発行人としては、思わず膝を打ちたくなるような新鮮な
ねたの俳句に巡り合いたいと願うこと切である。
月刊「俳句界」2009年6月号 編集後記より