2018 年 03 月号より
東京にことし一番の大雪が降った夜、私はなかなか眠れなくて、ベッドの上で悶々としていた。ほんの十分ほどまどろんだだろうか、母が夢にあらわれた。洗面器でタオルをしぼって、私のひたいを拭いてくれている。懐かしさのあまり私はおもわず「オモニ――」と声に出して呼んだ。ああ――母はシャボン玉のように一瞬にして消え、二度とあらわれなかった。韓国には「死者に誘われて黄泉の国についてゆくと、もう二度とこの世には帰れない」という諺がある。あのとき、もし私が夢の母につれられて天国に行っていたとしたら……。先師の加藤楸邨先生や横山白虹先生と再会できたかもしれない。だが、私にはまだやり残した仕事がある。カーテンの外はうっすらと夜明けが近づいている。テレビは相変わらず東京の大雪のニュースを伝えている。
2018 年 02 月号より
韓国にはトッケビ(独脚鬼)という妖怪が棲んでいる。日本の幽霊や狐火とは異なる。<トッケビは棒でぶっ叩き、鬼神は経で追い払う>というと、どことなくユーモアをたたえた諺からもわかるように単なる観念的な神霊ではない。月の無い暗い晩、人けのない所に現れ相撲を挑んだり、また美しい女の姿で若者を誘ったりする。しかし、たいがいはいたずら好きで、美女のはずが実は火掻き棒であったとかいう伝承である。私が少年時代を過ごした土佐の高知には<シバテン>という妖怪が出現する。シバテンに出合うと「相撲を取ろう、相撲を取ろう」と誘ってくる。シバテンは河童の変身だから、水の中での勝負には圧倒的に強い。人間は腹を割かれ肝臓を吸いとられる。ここには無慙な悪鬼の世界が描かれ生きとし生けるものの有情の世界は微塵のない。噫。
2018 年 01 月号より
高知のしんじょう君、ゆるキャラ日本一──という新聞記事を見つけた。投票でご当地キャラクター日本一を決める「ゆるキャラグランプリ」に高知県須﨑市の「しんじょう君」が栄冠に輝いたのだ。須﨑市の新荘川で日本で最後に目撃された川瀬がモチーフ。私が少年のころカワウソが鮎をくわえて川を渡っている姿を見かけるのは珍しくはなかった。が、バブル経済を契機に毛皮のため乱獲され絶滅してしまった。高知県には最後の清流と呼ばれる「四万十川」がある。どちらも鮎漁で有名。毎年、六月の鮎解禁日には大阪・東京から大勢の釣人が押し寄せてくる。その人数に驚いた鮎は錯乱状態となり川原に跳ね上がり、こどもでも簡単につかまえることができる。自然保護のためには早めに手を打つことが肝心。カワウソの二の舞にならぬよう。
2017 年 12 月号より
小学一年を修了した翌日、隣村(上分かみぶん
)に引っ越しをした。終戦の年の昭和二十年である。日常生活に必要な最小限の家財を馬車に積みこんで、私と妹のより子は馬車の最前列に座り、生まれたばかりの雪子はオモニ(母)に抱かれて、まるで遠足に出かけるような気分である。距離は時間にして一時間半。途中、国道からはずれて小さな谷川に沿って登ってゆく。テレビで観る秘境のような景色が続く。目的地「道の川」に着くとそから先は馬車は通れない。およそ二百メートルほどの急坂を歩いて登ると、十分ほどで一軒の農家にに着く。そこの倉が私たちの住居であるのだ。倉の中を片づけて十坪足らずの隙間にむしろを敷いただけの部屋。少年の目にはまるで秘密基地のような光景である(つづく)
2017 年 11 月号より
町の名は高知県須崎町。土佐湾の中心部に位置している。町の東部は造船所とセメント工場があり、一日二十四時間騒音でひっくりかえっている。西部は四国山脈へ抜ける国道が走っていて、町の入口にはうどん屋が二軒、荷馬車の馬蹄を取り替える鍛冶屋が二軒ある。町の中心部は赤とんぼの呼吸音が聞こえるような静かな住宅街である。そんな町の一角に中村屋という雑貨屋がある。店には私よりも三歳年上の道子という少女がいる。私を見かけると樽の陰にかくれて黙って笑いながら小石を投げてくる。道ちゃんは知的障害者である。夕方になると母と妹と三人で町の銭湯に出かける。中村屋の近くまでくると母親のねんねこの袖の中に頭を突っこんで足音を殺して通る。銭湯に着いて空を見上げると赤い月がランプのように輝いている。家のラジオは『米軍が高知市を爆撃、高知はほとんど全焼である』と報じている。「こどもたちの安全のために、もっと山奥に引っ越しをしようか──」と両親が小声で相談している。(つづく)
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