●毎月25日発売
●A5判  ●定価1,200円

○ 月刊 俳句界 2019年6月号 ○
特   集
俳句と食文化
●復本一郎 藤田真一 中尾公彦 小西昭夫 足立公彦 田山康子
特   集
俳句の魅力
金原亭馬生 西村賢太 ねじめ正一 馳 浩 冨士眞奈美 吉行和子
特別作品21句
いさ桜子 五島エミ
俳句界NOW
森田純一郎
セレクション結社
「伊吹嶺」
甘口でコンニチハ!
辛酸なめ子(漫画家)
私の一冊
髙橋健文『葉風夕風』
amazonでもご購入いただけます→
○ 別冊付録 / 投稿 俳句界 ○
質量とも類を見ない、圧倒的に充実した総勢28名の選者陣!

添削教室選者
折井紀衣、長嶺千晶(敬称略)
俳句トーナメント選者
石井いさお、五島高資、佐久間慧子、堀本裕樹(敬称略)
兼題選者
大高霧海、岸本マチ子、高橋将夫、名和未知男(敬称略)
雑詠選者
有馬朗人、稲畑廣太郎、茨木和生、今瀬剛一、大串 章、櫂未知子、加古宗也、角川春樹、古賀雪江、佐藤麻績、鈴木しげを、田島和生、辻桃子、夏石番矢、行方克巳、西池冬扇、能村研三、山尾玉藻(敬称略)


【下の各画像をクリックしますと、今月の各コーナーの授賞作品がご覧いただけます。】

※印のついた句は、ダブル特選賞もしくはトリプル特選賞です。


俳句ボクシング・今月のチャンピオン
選者:石井いさお、五島高資、佐久間慧子、堀本裕樹(敬称略)
俳句ボクシング・今月のチャンピオン
目交は紀淡海峡白子干す
和歌山 川口 修
俳句ボクシング・今月のチャンピオン
奥津城へ手向くるに似て蕗の花
青森 神保と志ゆき
俳句ボクシング・今月のチャンピオン
桜咲く手帳に記す出版日
東京 佐復 桂
俳句ボクシング・今月のチャンピオン
鳥がゐてそこに鳥来て春隣
愛知 石井雅之
兼題
選者:大高霧海、岸本マチ子、高橋将夫、名和未知男(敬称略)
今月の兼題…【災】
兼題-大高霧海・選
非道なる魔の人災や原爆忌
長野 土屋春雄
戦災は歴史の彼方島桜
沖縄 百名 温
偏奇館主の筆冴えにけり罹災録
愛媛 境 公二
兼題-岸本マチ子・選
直球で災い払う豆を撒く
福岡 井上加奈子
防災の日や仏壇の母子手帳
鹿児島 永井貴士
災害地の初午太鼓天を衝く
埼玉 矢作水尾
兼題-高橋将夫・選
災害の地を違へずに燕来る
高知 𠮷倉紳一
被災者に寄り添つてゐる寒の月
大阪 熊川暁子
春風や災禍を知らぬ仏達
静岡 宮田久常
兼題-名和未知男・選
震災の前の家系図曼珠沙華
神奈川 竹内美代子
阿弥陀寺無病息災大根焚
兵庫 松林孝夫
災いは山より来たる威銃
千葉 唐鎌良枝
雑詠
選者:有馬朗人、稲畑廣太郎、茨木和生、今瀬剛一、大串 章、櫂未知子、加古宗也、角川春樹、古賀雪江、佐藤麻績、鈴木しげを、田島和生、辻桃子、夏石番矢、行方克巳、西池冬扇、能村研三、山尾玉藻(敬称略)
雑詠-有馬朗人・選
豆煮るに豆幹を焚く実朝忌
埼玉 中村万十郎
源実朝は、兄頼家の子・公暁に殺され、源氏の将軍は三代で絶えてしまった。中国の魏の曹植 は兄の曹丕に迫害され、七歩歩む間に詩を作れと命じられた。曹植は 「豆を煮るにまめがらく」 と応えて助かった。甥に暗殺された実朝から曹植の詩を思い浮かべたところが佳い。
フェルメールの瑠璃の雫か犬ふぐり
埼玉 清水由紀子
フェルメールは十七世紀のオランダの画家である。澄んだ輝くような光や色彩に満ちた画を描 いた。犬ふぐりの紫色の花の美しさを「フェルメールの瑠璃の雫」と詠ったことによって、フェ ルメールの画の美しさと、犬ふぐりの花の美しさを共に強調したところが佳い。
まさをなる空今日もあり風生忌
茨城 林きよ子
風生忌は二月二十二日、立春の翌日頃で、真青な空の美しい頃である。しかも富安風生に名句 〈まさをなる空よりしだれざくらかな〉がある。そのような美しい真青な空を見て風生の名句を 思い出しながら、風生の忌を偲んでいる作者の心が美しい。
雑詠-稲畑廣太郎・選
石段に雛千体の眼の動く
千葉 成田杏一
家に飾っている雛の眼が動いたら、ちょっとしたオカルトものであるが、勿論こちらはそうで はなく、石段に子供達が雛装束を着て並ぶというイベントである。群馬県の伊香保温泉が有名だ が、着飾った子供達のあどけない姿が見て取れる。千人もの雛段は何とも爽快な感じもする。
落第の子へ日は昇る明日もまた
岡山 谷本 緑
「卒業」や「大試験」の傍題として歳時記にある「落第」という季題は、実は筆者も経験して おり、自慢にもならないが、気持は判るつもりになっている。進級出来なかった学生の悲哀では あるが、それが一巻の終りではない。その子に対する明るい励ましの心が伝わってくる。
すぐそこにきてゐるやうな春を待つ
大阪 髙田敏雄
一月も末になってくると、寒の内ではあるが、どこか冬至の頃に比べると少し日脚も伸びてき て、三寒四温を感じるようになってくる。実感として、春の足音が聞こえるようになってくるこ とも確かである。まるで待ち焦がれている人が近付いてくるような表現に作者の優しさを感じる。
雑詠-茨木和生一・選
歌垣でありしあたりの野に遊ぶ
奈良 渡辺政子
歌垣は古代、男女が山や市などにあつまって、飲食をし、舞踏をしたりしたこと。そんな跡と 思われる地が奈良県桜井市に残っている。おそらくその地を訪れた作者の詠んだ一句である。古 代人の遊びを思い遣った句。
みづうみの仮桟橋に菜を洗ふ
兵庫 山尾カツヨ
水の美しい湖だから、畑で収穫してきたばかりの菜を洗っている。小舟もそこに繋いでおく仮 の桟橋で、湖に身を乗り出しての作業である。息を継ぐことなく一気に詠んでいる所がよい。「菜 を洗ふ」は、冬の季語だが、この句、春近いことを思わせる。
洗顔と洗髪の許可草青む
京都 岡井香代子
長期の入院をしていると、洗顔と洗髪の許可が出ると、そう遠くないうちに退院も見えてくる ので、どれほどか嬉しいということがよくわかる。「草青む」の季語が、退院後の野遊びの喜び に繋がっていてよい。
雑詠-今瀬剛一・選
山笑ふ子らには重きランドセル
秋田 宮本秀峰
入学して間もない頃の小学生だろうか。私はこの作品の「重き」という表現に注目した。体に くらべてランドセルが大きいとともに重くのしかかっているのである。「山笑ふ」という季語も よく効いている。子等をあたたかく見守っている作者の心が感じられる明るい季語である。
まつ白な巣箱をかけて卒業す
岡山 尾関當補
卒業の記念に巣箱をかけたのであろうか。「まつ白な」の一語が巣箱を印象深いものにしている。 作者は情景的に表現したのであろうが、読む者からすると卒業していく者の明るい未来まで感じ させるところがある。一気に言い下して句末を「卒業す」と言い切っている所も力づよい。
立春や光の中の新校舎
佐賀 萩原豊彦
春になった喜びを端的に表現していて快い。情景的にある物は「新校舎」だけである。今日は その新校舎がとりわけ輝いて感じられたのであろう。まぎれもない春を迎えた意識の表現である。 「光の中の」と捉えたところは巧い。上五を感動的に切り句末を名詞で止める叙法にも力がある。
雑詠-大串章・選
祝辞謝辞心通ひて卒業す
兵庫 森山久代
卒業式では校長先生・PTA会長・来賓の方々などが祝辞を述べ、保護者代表・卒業生代表な どが謝辞を述べる。心の籠った祝辞や謝辞を聞いて、思わず涙ぐむ教師が居たり眼を指でぬぐう 生徒が居たりする。「心通ひて」があたたかく心にひびく。
降る雪や明治は更に遠くなり
北海道 横村楓葉
中村草田男の代表作〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉(昭和六年作)を踏まえ「更に」と言 ったところが一句の眼目。新元号は本年五月一日に施行され、明治・大正・昭和・平成・令和と 続くことになる。昭和からも明治は遠く感じられたが、令和からは更に遠く感じられる。
大寒の峡の底ひに灯が二つ
神奈川 髙野知作
大寒は太陽暦の一月二十一日頃、寒さが最も厳しいときである。その寒気きびしい山あいの底 に灯が二つぽつんと点っている。そこには一体どんな人が住んでいるのか。農業に携わる人か、 それとも林業を営む人か。いずれにしても「灯が二つ」が心にしみる。
雑詠-櫂 未知子・選
鍵束に母の鍵足す寒の雨
山形 鈴木周子
自分の「鍵束」に母の自宅の鍵を足す。おそらくは一人暮しをしているか、施設に入った母親 の家を折に触れて見に行くためなのだろう。さり気なく、しかし深い内容を持っている作品であ る。
蹄鉄を打ち直したる雨水かな
大阪 鶴賀谷 修
使役馬や競走馬の「蹄鉄」は摩滅が激しく、一か月から二か月ごとに改装する必要があるとい う。この句、「雨水」という、これからが春本番だと感じさせてくれる二十四節気にふさわしい 内容を持っている。
早春や夫の帽子に日の匂ひ
大阪 富田栄子
「夫の帽子」からふと感じた太陽の香り。まだ寒さの残る時期に、二人して出かけたのだろう か、あるいは帰宅後に気付いたのだろうか、「日の匂ひ」に長い歳月を共にしてきた夫婦の絆が 感じられ、すばらしい。
雑詠-加古宗也・選
探梅や同じ歩幅の妻が居て
福岡 松村正義
「探梅」はいうまでもなく冬の季語。まだ、梅の開花には早い時季に、梅の花を探して山野を 歩くことをいう。言ってみれば「風雅」の極み。夫婦揃って風流に遊ぶことのできる幸せをしみ じみ感じている作者だ。妻への感謝が心地よくひびく。
合はぬ目の穴節分の鬼の面
大分 松鷹久子
作者の目の位置と面の目の穴が合わないのに戸惑っている作者だ。と同時に合わないことを楽 しんでもいる。一年に一度、鬼に豆をぶつけながら、鬼を愛しく思う。そんなところに日本の伝 統行事のよろしさがあるのだ。
下校児のまだまだ遊ぶ蝌蚪の国
埼玉 小林康男
子供たちは、おたまじゃくしが皆大好きだ。尾びれを振って泳ぐ姿、浮いたり沈んだりする姿 は、かわいくて仕方ない。下校児の池畔で、あるいは川畔で。何とも懐かしい風景だ。実は大人 だって蝌蚪は大好き。例えば、〈川底に蝌蚪の大国ありにけり 村上鬼城〉。
雑詠-角川春樹・選
振り上げた拳が凍ててをりにけり
愛知 金子恵美
ドラマ性のある一句である。なにか憤ることがあり、感情にまかせて拳を振り上げたが理性が はたらき、拳を振り下ろすのをこらえているのだ。拳が凍てるという表現が巧みである。
二ン月や光たばしる潮溜り
神奈川 盛田 墾
格調があり、一句の立ち姿の美しい作品である。映像の復元力があり、荒磯の光景が一瞬にし てひろがる。早春とはいえ、まだ寒々しい波打ち際の様子が伝わる。
ものいろいろ揺れ待春のベビーカー
徳島 蔵本芙美子
子どもをあやすための玩具や、世話に必要な持ち物などが、ベビーカーに吊ってあるのだろう。 「ものいろいろ揺れ」と句またがりにしたところに工夫がある。待春という季語に託して、子ど もへの愛情がよく表現されている。
雑詠-古賀雪江・選
古書店の三寒四温の匂ひかな
埼玉 諏訪一郎
三寒四温は、冬の間、三日寒い日が続いてあと四日暖かい日があるという意味であるが、最近 天象異変の続く日本でも度々こんな状態である。昔の書物、古書が積まれている古書肆には独特 の匂いがあるが、愛好家にはたまらない匂であって、寒い日も暖かい日も通う作者である。
犬小屋に鎖の残る寒さかな
福井 木津和典
空っぽの犬小屋である。犬は既に亡くなってしまって鎖だけが残っているのであろうか。犬小 屋に鎖のみが残っている寂莫としたさまに寒さを覚えたとあるが、その寒さは、犬を失った作者 の心から来る寒さであるのかも知れないと思った。なんでもない句であるが情を感じる。
おぼろ夜を酔ひて道問ひ道問はれ
神奈川 林 忠男
春は大気中に水分が多いので、離れてみると物の像が霞んで見える。おぼろ夜に微醺に街を歩 くさまは彷徨うような歩行ともなる。「道問ひ道問はれ」の措辞に、薄絹でも垂れたような、甘 いかすんだ春月の夜の風情が想像され、道を尋ねた人も訪ねられた人もほろ酔いであったかと。
雑詠-佐藤麻績・選
天上天下指したまふ手に蝶生る
愛媛 境 公二
釈迦が誕生の時言われた言葉であるというが、何より唯我独尊の意味は宇宙間で自分より尊い ものはないとの言葉で絶対の言葉である。この意味をもってすれば蝶が生まれるばかりか総てが 可能であると言えるのであろう。
風船は大人に重し子に持たす
兵庫 井上徳一郎
風船は手を離せば何処へか飛んで行ってしまう。その自由に飛びたてるものは、子供にとって の可能性であり希望であろう。大人はすでに重い人生を負ってしまった。その重さを持つことは 出来ないと夢のある子どもに託するのだろう。
大根抜く手柄のやうに穴あきぬ
福岡 本郷ひな
みずみずしくまっ白で太い大根、渾身の力をふりしぼって抜く。年々続けた作業であろう。す でにこの大根を煮るか干すか、あれこれの予定もあるはず。ふと見ると大きな穴があいている。 まさにこれは手柄の穴だ、と作者は納得したようだ。
雑詠-鈴木しげを・選
小さき膝涅槃絵解きに並びゐて
山形 大熊幸夫
涅槃会は釈迦入滅の陰暦二月十五日に行われる法会。涅槃絵は寝釈迦を中心にその死を悲しむ 弟子たち、禽獣虫魚が描かれたもの。掲句は涅槃寺に集まった檀家の家族に僧が絵解きをしてい る場面。大人にまじって座にかしこまっている子らの膝が印象的。
雨止んで夢殿に春立ちにけり
奈良 髙畑美江子
聖徳太子の斑鳩宮の跡に建立された夢殿。太子の夢に仏陀が現れ教示したという伝説がある。 本尊は救世観音。八角円堂の甍に昨夜からの雨がやんで春が立つ。作者の胸奥にある春の思いが 一句に宿っている。
如月や吾妹が苞に飛鳥の蘇
三重 池田緑人
如月はほぼ三月にあたるが、掲句がもし三月やであったら中七以下の情趣は薄れてしまうだろ う。きさらぎの語は日本書紀にすでにあるという。蘇は今でいうチーズ。飛鳥時代に蘇はあった らしい。当時の味が復元されたのを吾妹の土産にしたという。何とも雅な一句。
雑詠-田島和生・選
病室の窓の高さに巣箱かな
千葉 有田川あき
病院は林の中に建つ。病室の窓の高さ位の幹に巣箱がかかり、小さな円い穴から小鳥が出入り している。箱の中では雌鳥が卵を抱いており、出入りするのは餌を探す雄鳥だろうか。病室から よく見える「窓の高さ」の楚辞が巧みで、病人も小鳥を眺め、心を癒されるに違いない。
星の夜の大根櫓の匂ふなり
宮崎 岡本和子
沢庵漬けを作るため、高い櫓を建てて大根を何十本も掛けて干している。昼間も甘い匂いが漂 っているが、空気が澄み、星が見える夜は一層匂う。干し大根の匂いは、遠く瞬く無数の星にま で匂うようである。「星の夜」が句の世界を広げ、詩情豊かな作品に仕立てている。
雨止んで夢殿に春立ちにけり
奈良 髙畑美江子
奈良は斑鳩の里、法隆寺の東院伽藍に八角形の夢殿がひっそりたたずみ、秘仏の救世観音像が 祀られている。立春の日に夢殿を尋ねたところ、雨も上がり八方の軒から雫が滴っていた。雨が 洗い清めた夢殿に春が立ち、観音様も春を迎えたのである。調べもよく、大変優美な作柄である。
雑詠-辻 桃子・選
猪の錆檻退かし芋植うる
千葉 村越靖弘
作者の畑にも猪が出没して手を焼いたのだろう。捕獲する檻を畑の隅に設置していた。春にな り、種芋を植えるにあたって置いたままにしてあった檻をどかしたのだ。その檻はすっかり錆び ついていた。「猪の錆檻退かし」という荒っぽい表現が、作者の気持を受け止めている。
歌垣でありしあたりの野に遊ぶ
奈良 渡辺政子
記紀歌謡の時代、男女が野山やいち に集まり、互いに歌を掛け合って求婚する行事があった。そ れが歌垣だが、作者はその伝説が残る野に遊んだ。ピクニックの句だが、歌垣の舞台であったこ とではるか昔の男女に思いを寄せている。中七のゆったりとした表現に作者の思いが出ている。
まつ白な巣箱をかけて卒業す
岡山 尾関當補
卒業にあたって学校の裏の林の中などに新しい巣箱を掛けた。あるいは作者は教員で、野鳥観 察のクラブの顧問かもしれない。そこに野鳥が巣を営むのだろう。まるで鳥が育てた小鳥が卒業 してゆくかのようなたのしい句だ。「まつ白な巣箱」であることで、卒業の子の未来も思わせる。
雑詠-夏石番矢・選
波の花帰るところがわからない
福岡 矢野二十四
海を沿岸からしばしば見ている人による秀句。私は「波の花」がいつの季節によく見られるか 知らないが、不思議で趣深い海辺の現象。「帰るところがわからない」のは、もちろん不幸。あ の世があるのかないのか、はっきり理解できない二十一世紀初めの日本人の最大の不幸だろう。
しかれども奴は残った凍土かな
東京 日沼純慈
第二次世界大戦後のシベリア抑留を思い出しての一句だけの投句。出だしの「しかれども」と いう一見軽い表現が、何も言わないだけにとても重い。「奴」は親友。私たちには想像できない 環境で、しぶとく「残った」日本人の友。シベリアの「凍土」は零下何十度まで下がるのか。
淡雪や遠くに近くに黄泉の国
石川 燕北人空
初案の「遠く近くに」を掲出のように改めた。降雪空間は、中村草田男の「降る雪や」俳句の ように、時間を超越した空間。この一句では、彼岸と此岸の次元すら超越させる。しかしなぜ「黄 泉の国」なのか。作者の死への心理的傾斜か。あるいは日本海の冬の暗さからの連想か。
雑詠-行方克巳・選
北になほ北の空あり鶴帰る
兵庫 前田 忍
日本で冬を越した真鶴や鍋鶴が北方へと帰るのを「引鶴」「鶴帰る」といいます。その飛翔の 姿を仰いでいると、一体彼らはどこまで飛んで行くのかしらと帰着地をあれこれ想像してみたく なりますね。上五中七のフレーズはそういう作者の気持のあらわれでしょう。
まつ白な巣箱をかけて卒業す
岡山 尾関當補
卒業記念として、学校の近辺の林に、真っ白な巣箱を掛けて卒業していったということですね。 一体どのような種類の鳥達のものか分かりませんが、白一色に塗られているというところに、自 分たちの志向する未来そのものが感じられて、とても頼もしく思われますね。
靴下の踵の穴の恵方かな
神奈川 堀尾笑王
恵方とは、その年の歳徳神のいる方角ということです。靴下の穴の位置で恵方を決めるなんて 全く思いもよらない発想ですね。今流行りの恵方巻など商業主義にのせられたことなどより、ず っと俳諧味があって、私にはとてもおもしろく思われました。
雑詠-西池冬扇・選
蟇の出てずしりと重き庭の闇
埼玉 鈴木まさゑ
「蟇」を「がま」と読むか、「ひき」と呼ぶべきか判らないが、「がま」の方が重々しさを感じ る。この句、闇自体に重さがある、という。少年の頃、庭の闇を見て、異界に通じているかもし れないと底知れぬ恐れを感じることがあった。この句は心理的なイメージの表出に成功している。
又一つ組を離れて蝌蚪生るる
高知 西岡晴美
紐状になっている蛙の卵、ヒキガエルだっけ、そこから一匹また一匹とオタマジャクシ(蝌蚪) が生まれて離れていく。見ている者は感激して、生命の鎖や紐とでもいいたくなる。この句は誕 生の瞬間の事実を単に写生しただけだが、又一つという的確な表現で自然界の理に近づいている。
寒月の螺旋階段のぼる影
愛媛 武田 正
俳句でイメージの美しさを表現するのには読者の言語空間に依拠する必要が生じる。螺旋階段 の影の美しさは映像の世界では幾度も表現されている。俳句はそれらの世界を言語を通して読者 の心に再構成するものである。シオドマクの『らせん階段』やハリー・ライムの顔がそうである。
雑詠-能村研三・選
昭和はや茫々として鳥雲に
東京 薬丸正勝
五月一日の新天皇即位に伴い、新元号「令和」への改元に向けて世の中が慌ただしくなってき た。昭和の時代も遥か彼方に行ってしまったような思いにもなる。昭和の記憶も「茫々と」して はっきりすっきり見えてはいないところに行ってしまったようだ。「鳥雲に」の季語が効いている。
石垣の石の秩序も冬に入る
熊本 加藤いろは
城の石垣であろうか。それぞれの石の積み方は規則正しく、整然と石垣が並んでいる。きれい に隙間なく並べられる技術は日本ならではの匠の技である。冬になると凜とした空気に身が引き 締まる思いがあるが、そんな中これを作者が石自身の「石の秩序」と表現したのが面白い。
雪霏々と無声映画の村暮るる
北海道 小野恣流
雪が「しんしん」と降ると言うが、実際に雪がしんしんと音がして降るわけではない。雪が降 っている時は異様な静けさがあり、音がなく村全体が無声映画の世界に入ってしまったようだ。 科学的な根拠はわからないが雪は音を吸収してしまうのかも知れない。
雑詠-山尾玉藻・選
木枯や手首をつかむ腕時計
茨城 西村順子
屋内での寸感とも、「木枯」の中を歩いている折の実感とも解せますが、私は後者と捉えました。 腕時計が「手首をつかむ」の強烈な意識は厳しい寒風が触発したものに他ならず、今や腕時計は 歩みを阻む冷たく重たい邪魔者でしかないのです。
盆梅の影の踏まへる芳名帳
愛知 山口こひな
盆梅展の会場の受付に用意された「芳名帳」に、横に据えられた立派な盆梅が濃い影を落とし ているのでしょう。「影の踏まへる」の措辞がこの盆梅の立派さを十分伝えており、会場の盆梅 もさぞ見事であろうとこころ躍らせる作者の胸中も見て取れます。
かるた取る手の美しや憎らしや
愛知 大島国康
俳句に「美しや」のような主観を持ち込むのは慎むべきとされますが、掲句のような場合に限 り主観が逆に生きてくるのです。下五の「憎らしや」に意外性があり、それが一句に普遍を呼ん だからです。尚、このように主観の勝った句が常に成功するとは限りません。





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