●毎月25日発売
●A5判  ●定価1,200円

○ 月刊 俳句界 2019年10月号 ○
特  集
滑稽俳句と川柳
井上泰至 渡辺美輪 復本一郎 八木 健 小西昭夫 黒川孤遊
特集
超高齢化の結社経営
特別作品21句
星野高士
俳句界NOW
長峰竹芳
セレクション結社
「青岬」
甘口でコンニチハ!
小池真理子(作家)
私の一冊
川村智香子『昭和・平成を詠んでー伝えたい俳人の時代と作品』
amazonでもご購入いただけます→
○ 別冊付録 / 投稿 俳句界 ○
質量とも類を見ない、圧倒的に充実した総勢27名の選者陣!

添削教室選者
折井紀衣、長嶺千晶(敬称略)
俳句トーナメント選者
石井いさお、五島高資、佐久間慧子、堀本裕樹(敬称略)
兼題選者
大高霧海、岸本マチ子、高橋将夫、名和未知男(敬称略)
雑詠選者
有馬朗人、稲畑廣太郎、茨木和生、今瀬剛一、大串 章、櫂未知子、加古宗也、角川春樹、古賀雪江、佐藤麻績、鈴木しげを、田島和生、辻桃子、行方克巳、西池冬扇、能村研三、山尾玉藻(敬称略)


【下の各画像をクリックしますと、今月の各コーナーの授賞作品がご覧いただけます。】

※印のついた句は、ダブル特選賞もしくはトリプル特選賞です。


俳句ボクシング・今月のチャンピオン
選者:石井いさお、五島高資、佐久間慧子、堀本裕樹(敬称略)
俳句ボクシング・今月のチャンピオン
樺忌やひたくれなゐの薔薇一枝
東京 宇井偉郎
俳句ボクシング・今月のチャンピオン
夕立に土の力のありにけり
滋賀 北村和久
俳句ボクシング・今月のチャンピオン
河近きわが家よろしきかはせみ来
大阪 大西富紀子
俳句ボクシング・今月のチャンピオン
銀の糸めらめらと噴く女郎蜘蛛
長崎 田上喜和
兼題
選者:大高霧海、岸本マチ子、高橋将夫、名和未知男(敬称略)
今月の兼題…【光】
兼題-大高霧海・選
夏空に魔光一閃黒き雨
長野 土屋春雄
かなしみを詩は光に沖縄忌
福岡 榊原 洋
乾坤の光を束ね那智の滝
愛媛 境 公二
兼題-岸本マチ子・選
夕焼や月光仮面の子も帰る
神奈川 後藤勝久
老兵の涙が光る慰霊の日
沖縄 真喜志康陽
廃校に蛍の光る奥吉野
奈良 渡辺政子
兼題-高橋将夫・選
満ち足りて光となりて滴れり
静岡 阿久津明子
光年の後の人類水中花
兵庫 井上徳一郎
光り来て一粒の来て大雷雨
北海道 髙畠テル子
兼題-名和未知男・選
遺言書くことも余生や光悦忌
茨城 青木まさを
廃校に蛍の光る奥吉野
奈良 渡辺政子
光太郎詩集にはさむ沙羅落花
大阪 西向聡志
雑詠
選者:有馬朗人、稲畑廣太郎、茨木和生、今瀬剛一、大串 章、櫂未知子、加古宗也、角川春樹、古賀雪江、佐藤麻績、鈴木しげを、田島和生、辻桃子、夏石番矢、行方克巳、西池冬扇、能村研三、山尾玉藻(敬称略)
雑詠-有馬朗人・選
蠍座の赤きが燃ゆる虫送り
大阪 小畑晴子
蠍座は七月下旬の宵に南中する南天の星座であるから、関西、九州、特に沖縄の光景である。 虫送りは晩夏から秋の初めにかけて、農作、特に稲作の害虫を退治する行事。中部以西では実盛 送りと呼ぶ。この句では、虫送りを蠍座の赤く燃える光景に結びつけて描いた所が力強くて佳い。
南吹く地平遥かなゲル泊り
長崎 田上喜和
ゲルはモンゴル人達の使う天幕のことである。パオ(包)とも言われる。モンゴル人やキルギ ス人など遊牧民が住む移動式の家である。モンゴル地帯を旅してゲルに泊ったのである。その地 帯にも夏が来て南風が吹いている。ゲルに泊り遊牧民の生活も実体験しているところが佳い。
唐臼を守りつぐ十戸ほととぎす
福岡 洞庭かつら
唐臼は臼を地面に埋めて、足で杵の柄を踏みながら杵を上下して米などをつく道具である。今 でもこの唐臼を大切に使っている集落がある。それが十戸ぐらいの小集落であり、近くで盛んに 時鳥が鳴いているのである。昔からの生活様式が残っているところを描いたところが面白い。
雑詠-稲畑廣太郎・選
日帰りのタイムマシンに蚊遣かな
大分 いとう鴇
今まで見たことのないような不思議な魅力のある句である。実際タイムマシンが出来たとして、 ある夏の一日にそれを使って過去や未来に旅をする。マシンの中は蚊遣が焚かれているのである。 空想科学の最先端であるタイムマシンと蚊遣との取合せが微笑ましさを感じさせる。
更衣何か忘れたやうな朝
長野 山崎久子
五月の立夏を基準として、それまでの厚手の服装は夏向きの薄手のそれへと替わる。学校や会 社の制服等に限らず色も明るくなり、町全体も解放感が広がって来るように思える。作者はそん な更衣の服の軽さに着目して、まるで忘れ物をしたようだという表現で見事に季題を捉えている。
ナイターの勝者敗者の終電車
福岡 髙山桂月
筆者はどうしても、甲子園球場の阪神巨人戦を想像してしまう。我がタイガースの圧勝で、球 場近くの居酒屋で祝杯を挙げ、阪神電車の終電車に乗ると「六甲おろし」の大合唱に。奇しくも 自棄酒を呷った巨人ファンも乗り合わせる。ここからの展開は読者のご想像にお任せしたい。
雑詠-茨木和生一・選
夏料理きれいな鳥の来る山家
兵庫 山尾カツヨ
ガラス器を使った美しい夏料理が出されている山家。そこに来るのは、きれいな鳥、あるいは ヤマセミかもしれない。そんな鳥の姿を見ながら、その声を聴きながらいただく夏料理はどんな 料亭でいただくよりも美味にちがいない。
憲法を読まず憲法記念の日
京都 上藤おさむ
五月三日の憲法記念日、句の定型にのせるために憲法記念の日とされたのだが、表現の苦労を 重ねて憲法記念日としてほしかった。しかし、句としての面白さを大切にしたかったので、ここ に選んだ。
雛とは話せて認知症の母
広島 津田和敏
同時投句に〈鳥雲に庭を旅して母もどる〉という句もあったが、掲句の方を採用した。お雛さ まと話している母は認知症とは思えないほど、まともに話している。お雛さまからは返事がない から。
雑詠-今瀬剛一・選
白山に雲湧く日なり花胡瓜
福井 木津和典
先ず、上五中七の大きな表現に感心した。これによって作者の立つ位置、あるいは当日の天候 などが明確になった。その上で視点を身辺に戻すから胡瓜畑に咲く黄色い鮮やかな花が印象深く 見えるのである。遠近の情景を対比することによって、大きな情景を見事に表現している。
真つ直ぐに子の駆けてゆく麦の秋
静岡 渡邉春生
一面の麦秋の野の広がり、その中の一筋の道を子供が元気よく走っていく。先ず「真つ直ぐに」 という潔い把握に心引かれた。行動ももちろんだが、その心もまた「真つ直ぐ」なのだろう。「駆 けてゆく」という飾らない表現もいい。遠ざかっていく子供の姿を温かく見送っている。
人を祝ぐ日なり泰山木の花
千葉 有田川あき
作者の温かい心が「人を祝ぐ日なり」と言い切った表現から感じられる。こうした場合、その 温かい心は季語に現れるのが俳句の特徴。ふと眼前を見ると「泰山木の花」が咲いていた。他人 の喜びを自分のこととして喜ぶ、その思いが、気高く咲くあの花に込められているように思う。
雑詠-大串章・選
創造と破壊のピカソ熱帯魚
神奈川 浜崎孝子
ピカソの名言「いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ」を踏まえて見事な一句。熱帯魚は 不思議な形態や華麗な色彩のものが多く、ピカソの絵を彷彿させる。ピカソの名言には「コンピ ューターなんて役に立たない。だって答を出すだけなんだから」も。彼は現代をも見抜いていた。
ふる里の山河を称へ蝉しぐれ
秋田 宮本秀峰
ふる里の山河で鳴きしきる蝉。ああ、ふる里はいいなあ、すばらしいなあと聞きほれる。此処 で生まれてよかったなあと思う。そんな自分の思いを、蟬たちがふる里の山河を「称へ」て鳴い ている、と言いなした。いわゆる感情移入の句である。
日傘さしメリーポピンズ舞い降りる
埼玉 小池美知子
ミュージカル映画『メリー・ポピンズ』の一場面を思い出す。普段は雲の上で暮らしているメ リー・ポピンズが傘を開いて空から舞い降りてくる。その傘は空からゆっくり降りてくるための 落下傘の役を果している訳だが、それを「日傘」と言いなし、明るく素敵な有季俳句となった。
雑詠-櫂 未知子・選
合鍵を返したる夜の不如帰
福岡 髙橋春美
「合鍵」。いろいろなことを考えさせてくれる小物です。愛の始まり、もしくは終焉など、人 それぞれの思いを託せるものではないでしょうか。季語の「不如帰」の表記から、かの小説など も想起させられました。
去年より少し遅れて夏布団
福岡 青木草平
いつそれを着るか、出すか、かぶるか。その決断は、じつは毎年異なります。そのあたりをこ の句はさらりと描いています。気負わぬよろしさと、家族ごとの事情が感じられ、面白い作品に なりました。
余り苗一本づつの光かな
京都 上藤おさむ
田植の際は、いっぽん残らず苗が植えられるわけではなく、必ず少しだけ残ります。それを哀 れと見るかどうかは、人によって違うと思いますが、この句の作者はそこに「光」を見出しまし た。美しい作品です。
雑詠-加古宗也・選
万緑の手拍子野外コンサート
京都 白井さと
昭和四十年代、若者の間で反戦歌に始まったフォーク・ソングが一気に盛り上がった。ボブ・ ディラン、ピーター・ポール&マリーなど、アメリカから流れ込んだものだけでなく、吉田拓郎、 井上陽水など和製フォークシンガーを次々に生んだ。中津川フォークジャンボリーも懐かしい。
月すずし身の丈を越す役終えて
茨城 野口英二
「身の丈を越す」に作者の謙虚な人柄が垣間見えて好もしい。その日、家の外に出て、月を眺 めている作者。「月すずし」に安堵感と解放感が過不足なく表現されている。〈月涼し骨髄に入る 嚔かな 村上鬼城〉もそんなときに生まれた一句だと思う。
夕焼に窓開き聴くニニロッソ
千葉 多胡たかし
ニニ・ロッソは、イタリアのトランペット奏者。その演奏は突出したもので、世界中の音楽愛 好家から「トランペットの詩人」と呼ばれ愛された。「夕焼けのトランペット」あるいは、「さす らいのマーチ」が流れているのだろうか。至福の時間が見事に十七音に凝縮された。
雑詠-角川春樹・選
啄木鳥や敗戦国を鋤き返す
大阪 有瀬こうこ
啄木鳥が、秋の山中で木を叩き採餌の音を響かせているのは印象的である。掲句では、終戦記 念日を踏まえながら、その日を境に復興精神を発揮した日本人を詠んでいる。畑と言わず、「敗 戦国」と大きく捉えたところが良い。
カーネーション一本ささるランドセル
静岡 鈴木剛一
カーネーションは、母の日に贈られる花として親しまれている。掲句の小学生は、一本のカー ネーションをおみやげに家へ帰るところなのだろう。ランドセルに挿されて突き出ているカーネ ーションを詠んだことで、母への思いが印象鮮明に描かれている。
夜濯やさういふことは早く言へ
東京 嶋田奈緒
夜濯ぎは、夜風に当たりながら干したり、星を眺めたりする情緒を併せ持つ。掲句では、その ような夜濯ぎから、「さういふことは早く言へ」と急迫な展開をみせて、会話的な言い回しが効 果的である。
雑詠-古賀雪江・選
雀の子撒かるるやうに降りにけり
熊本 西村楊子
雀の卵は十日ほどで孵化して十五日くらいで巣立つと聞く。飛べるようになった子雀は、群れ てばらばらとこぼれるように目の前に降り立つことがある。そして、恐れを知らず寄って来るこ ともある。作者にはそれが、雀らが撒かれるように見えた。この句には解説も鑑賞も必要ない。
百歳を囲む家族の豆ごはん
富山 そうけ島紀代子
今では少なくなった大家族の句である。座の中心に百歳の祖母が居る豆ごはんの食卓は、日本 の原風景ではなかろうか。豆ごはんには独特の情を感じさせるものがあり、この句にもそれを思 う。取り立ててのご馳走ではないが、季節のものとして俳人たちは殊更に趣を覚えるのである。
竹皮をぬぐ音闇を大きくし
山口 棟近ミチ子
竹林の中で今年生まれた竹はすぐわかる。幹が青くて綺麗で葉もどこか初々しい。そんな竹が 生育して下方の節から順次に皮を脱いでゆく。竹の皮は葉鞘が変化したもので、自然に脱落する のである。作者は、竹の皮を脱ぐ思いがけない大きな音に闇の深さを思ったのだ。
雑詠-佐藤麻績・選
藻の花の流れにまかせ流されず
埼玉 成田淑美
藻の花が流れにまかせてゆったりと流れる様子は、のびやかで涼味がある。白や黄の花のやさ しさも心ひかれる。だが、どれ程流れても水底から伸びた細い茎は揺れ戻り、その位置から離れ ることはない。己の立ち位置はそのやさしさに似ず確然としていると言えるようだ。
生きちよると子供つぶやくソーダ水
兵庫 井上徳一郎
「生きちよる」はお子さんの呟きだが、耳にしたその言葉は作者の実感でもあったのだ。ソー ダ水は懐かしい夏の飲みものである。どれ程多くの飲料水が出ても、このソーダ水には敵わない。 生きもののように小さな泡が無数に出現する様子、口にした時の抵抗感、次々と絶え間ない。
かなぶんと同室になる山の宿
埼玉 波切虹洋
旅先で誰と同室になるかは、楽しみでもあり、やや不安でもある。それが家族旅行とは違うス リリングな処。作者の同室は「かなぶん」だったという。天真爛漫のかなぶん君は、一晩中、目 覚めて活発にあちこちへ体当たりなどしていたかも知れぬ。故に余裕の一句が詠めたのであろう。
雑詠-鈴木しげを・選
緑さす湧き水掬ふたなごころ
東京 平林けい子
初夏のまぶしい日差しが新緑の木々に注いでいる。その光はさまざまな葉蔭を通して、その木 蔭に湧き出す清らかな水に及んでいるのである。湧水にさしのべる掌もさみどりにつつまれる。 水を掬いとるてのひらは人の持つしぜんの器である。
かというてひとりはさみしさくらんぼ
長野 種山せい子
すべてひらがなで表記。ものやわらかな感じである。ひとりは「独り」と書くとちょっと重い。 一番気が合うのは自分自身。何をするにも折合いをつける必要はない。だからこのままひとりで 生きていく。そうはいってもやはりさみしい。さくらんぼは二つずつ実が付いてるな。
木の葉髪読まねばならぬものばかり
福岡 後藤啓之
木の葉髪は初冬の頃が多くみられる。齢とか人生的なものとは関係ないのだが、どこかわびし いものであるから、そこに作者の感慨をぶつけることになる。本好きで積み置きの本が周囲に迫 っているのだ。読まねばならぬ本の背文字が夢にも出てくる。
雑詠-田島和生・選
ざばざばと洗ふ磯着や浜おもと
愛知 山口 桃
磯着は海女の水着と見られ、「ざばざばと洗ふ」のオノマトペ(擬音語)から見て、白木綿ら しい。アワビやサザエ採りなどの作業を終えた海女がたらいで磯着を洗っている。近くには、浜 おもと(はまゆう)の白い花がいい匂いを放つ。「ざばざば」の優れた擬音で秀句に仕立てた。
かき氷出雲風土記の海青く
島根 小原ひとし
陰暦十月の神無月(出雲では神在月)には全国の神々が出雲大社に集まるとされる出雲。さま ざまの神話を収めた『出雲国風土記』の青い海を眺め、かき氷を食べる。一匙ずつ、氷水を味わ いながら、国引きの遠い神代の世界に思いを巡らすのだ。「かき氷」が効き、妙味に溢れている。
都心にも森らしきもの日雷
東京 伊藤たか子
森と言えば樹木が生い茂った鬱蒼とした森林だが、都心にはもちろんない。しかし「森らしき もの」の付近から、晴天に時々雷が鳴る。筆者の定宿はKKRホテルで、高階から皇居の緑地帯 「森らしきもの」が見える。掲句は天体現象の「日雷」を併せて郷愁も誘い、大変味わい深い。
雑詠-辻 桃子・選
流さるる賽銭箱や梅雨出水
石川 かくち正夫
大雨によって河川流域に被害が出るといった報道があとを絶たない。掲句は、梅雨出水が寺社 にまで来て賽銭箱が流されたという。出水は人々の祈りの象徴でもある賽銭箱のようなものまで 流してしまう。俳句はこんなことまで詠むことができる器なのだ。これこそが俳味だ。
汚染まだ残る高きに登りけり
奈良 宮武孝幸
「高きに登る」「登高」は中国から伝わった重陽の行事。九月九日に小高い丘や山に登り、菊 の花を浮かべた酒を飲む。それで災厄を祓うのだ。作者が登ったのは原発事故による汚染がまだ 残っているところ。作者は敢えてそのような高きに登り、祈りを捧げたのだ。
ざばざばと洗ふ磯着や浜おもと
愛知 山口 桃
磯着は白木綿の海女が着る衣。磯桶を浮かべて海に潜り、鮑や栄螺などを採って浮き上がる。今、 漁が終わって磯着を水洗いしている。「ざばざばと」に、いかにも木綿の磯着らしい質感と海女 の力強さが出た。その白と浜辺に咲く浜万年青(おもと)の白花が響き合っている。
雑詠-行方克巳・選
鳥雲に庭を旅して母もどる
広島 津田和敏
認知症のお母さんを詠んだ句です。もう電車などで遠くまで旅行することがかなわなくなった 現在、住みなれたわが家の庭を歩き廻って帰る、それがすなわちお母さんにとっては旅というわ けです。徘徊してどこか行方知れずにならないだけ救いでしょう。季語がよく効いています。
朝飯を食ひて昼飯帰省の子
福井 大森弘美
久し振りに帰省した子はなかなか起きてきません。遅い朝食をとると、すぐにお昼――。あっ という間に日が暮れてまた夕食です。そんなことを繰り返しては職場なり学校なりに戻っていっ たのでしょう。それでも子供にとって母親が身近になる帰省はとても心が落ち着くものなのです。
廃鉱の鑿の痕より滴れる
長崎 楢山孝明
何の廃鉱でしょうか、あまり大がかりな掘削が行われていた鉱山ではなく、まさに鑿一つで作 業をしていたようなところなのでしょう。その鑿で削った岩盤からぽたぽたと滴り落ちる水はい かにも清冽な感じです。状況が具体的に描写されたすぐれた句だと思います。
雑詠-西池冬扇・選
宙をきて天道虫となり着地
神奈川 金子 恒
一瞬を切り取ることだけが写生俳句ではない。この句は時の流れに従い、三つのシーンを写し 取った。読者は次第にズームインする天道虫の生き生きとした姿を思い起こすことができる。じ っと天道虫を眼で追っていた作者の姿勢があればこその写生表現。そのことにも読者は感じ入る。
二筋の水脈引く河馬の耳涼し
福岡 矢動丸典弘
河馬の棲息する大河。実際に私は見たことはないが、耳だけが水上に出ていて水脈を引いてい る景を想像することができる。読む者にそれらしいと感じさせることが良いのである(ただ実際 は耳と鼻と目が一直線にあるし、水中では耳を閉じるので眼が一番上になるのではなかろうか)。
満月に杜の光れば木葉木菟
千葉 上原 閃
満月で杜が光っているので木葉木菟(が鳴いている)という幻想的な景。映画『もののけ姫』 のシーンとかアンリ・ルソーの絵画にありそう、だが新鮮。写生が必要とされるのは頭の中の景 は多く陳腐化しているからである。「自然」から得られるイメージの広がりも陳腐化しやすい。
雑詠-能村研三・選
灯台は神の灯や卯月波
長崎 福山和枝
日本の灯台の歴史は、今から約千二百年前、昼は狼煙をあげ、 夜は篝火を燃やして船の指標と したのが始まり。航海術の発達とともに、より確実な目印が必要となり、岬や島の上に石などで 塔を建てた。卯月波が押し寄せる灯台の明かりは、航海者にとっては神の明かりそのものなのだ。
純喫茶に電話の小部屋走り梅雨
茨城 西村順子
令和の時代に入り「純喫茶」も「電話の小部屋」も懐かしいものになりつつある。電話の小部 屋のある純喫茶は、昭和五十年代までは流行ったが今はチェーン店のカフェが主流になってしま った。梅雨に入り雨宿りに入った喫茶店は、純喫茶と呼ぶに相応しいレトロニム的な店であった。
青蚊帳の大海原に眠り落つ
東京 関根瑶華
今や蚊帳は懐かしい風物詩となってしまった。現在は蚊取線香などで蚊に悩まされることもな くなった。子どもの頃は夏になると蚊帳の吊った空間が愉しいものであった。作者にとってもこ の句は思い出の句であるが、青蚊帳がまるで大海原のようであった。
雑詠-山尾玉藻・選
菊根分夫がさうしてゐたやうに
福井 下山文子
ご主人は菊を咲かせるのがお上手だったのでしょう。いつもその手入れの様子を見守られてい た作者は、その段取りや手つきを思い出しつつ菊の根分けをしておられるのです。一年を通し細 やかな心遣いが必要とされる菊づくりは、何よりの供養となるはずです。
どくだみの花に囲まれ発電機
千葉 飯田協子
「どくだみの花」と「発電機」との二物が多くを語りかけ、これは偶然が呼んだ必然と言えま す。疎まれがちな花十薬ですが、実は自然のままの愛らしさと純白を湛えています。しかし「発 電機」は人工的で味気なく雑音を立てます。二物衝撃とはこのことでしょう。
母の日や雲を眺めているうちに
栃木 大渕久幸
ゆっくりと流れていく白雲を眺めていると、どこか懐かしくあたたかな思いとなるものです。 作者もそんな心境となっていたのでしょうが、そのうち今日が「母の日」であることにふと気づ いたようです。ごく自然で素直な語り口調が大きな説得力となっています。