12月, 2013 - 文學の森

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返り花

加賀おんならしく、控え目で慎ましやかな作者である。自らの意思というより、周囲の強い勧めに促されての上梓なのかも知れない。だが三十五年に及ぶ揺るぎのない作句歴と、確固とした作品の成熟度である。とっくに世に出ていて然るべき期 […]

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振舞酒

行き届いた写生と ふところ深い視点から 人生の機微や節目 身辺の哀歓を、明るく、 きりりと詠み上げる。

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続 日月

杜陵さんの情は、生地盛岡を愛し、亡妻の生地秩父を愛し、終の地清瀬を愛す。この第二句集は、亡妻の鎮魂集であり、杜陵さんの情が色濃く織りこまれている。 河内静魚

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ずつと鬼

掲句は句集名を得た句でもあり、私はこの句に氏の俳句姿勢が語られていると思う。鬼とは探求者としての作者であり、俳句の課題なり目標なりを追究する姿なのである。そして九月とは人生の半ばを過ぎた今時分の身に譬えられる。過去を振り […]

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午後の風花

この度とみ子は…〈時代〉すべてを集約して、ここに一冊の句集を編む。 題して『午後の風花』という。 美しく齢を重ねたものがやさしく紡ぐことばの〈はな〉を、午後の天空に舞わせているのだ。 わが心を浄化するように。 星永文夫

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雪笑窪

「雪笑窪」の章は泪が滲み、書き難い思いに悩まされた。この章はご主人への鎮魂とも相聞歌とも言える。終章近く迄姿を現さなかった人が、突として登場し他の章を凌ぐ。それだけ御主人が大きな存在であったことは、今更言うべくもないこと […]

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絶海

楽しさが私の行動原理であり、この楽しさに後押しされて俳句を作りつづけてきた。初学の時から今日まで、時間と空間の中に在る幸せと不思議とを感じている。楽しさの向こうにある真理に一歩でも近づきたい。 (「あとがき」より)

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花李

過去の苦難からようやく脱却出来る人と逢い、心やわらぐ日がおくれるようになったことで、庭前の李の花の白さが素直に心に入ってきたことである。 古田紀一(「序」より)

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裸木

色々な波風に揉まれて生きてきたが、今、八十路。 題名は、今のわが身を思い『裸木』にした。 裸木が何となく、明日を夢見ているように思えるから……。 (「あとがき」より)

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万華鏡

昨年古希を迎えた。 開業生活も三十年を過ぎたし、これを機に、何か記念になるものを作ってはどうかとの妻の勧めもあった。 それでやっと、重い腰を上げたのが昨年の暮れのことであった。 ステンドグラスの作品とともに、妻の俳句を入 […]

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