11月, 2013 - 文學の森

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流砂紋

私は現在満九十五歳で、後一月足らずのうちに、九十六歳となります。歳を重ねるうちには、心身共に衰え、歩行困難となり、外出もままならず、余命も僅かとなりました。それでも「道標」に俳句投稿は致して居ります。 (「あとがき」より […]

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紀州春秋

祥子さんの佳句の特長は、なんといっても、深く愛している故里の《紀の国・紀州》=《和歌山》と、その自然との触れ合い、生活の全てが詩情となって、静謐に、嫋やかに、滾滾と吐露されていることだ。 河野 薫

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神郡宗像

ひたすらな小西和子さんの道も今や王道である。 ひたすら行かれるがいい。 伊藤通明

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祷りの木

あえて字余りの句を取り上げる。それは下句に置かれた「青い壺」の存在感が私を惹きつけるからだ。上句から流れるような、散文調ともいえる語調が見事に切れ、一転して目はこの「壺」という物体一個に集中する。しかもその「壺」はただ色 […]

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手賀沼

私は八十五歳になった。これは第一句集である。農村に生まれ、志願兵として三ヶ月で敗戦。その後、東京で四十年間教職にあった。俳句を始めてから約三十年。その間多くの句を作ってきた。そして少しずつ向上してきたと思う。しかし、俳句 […]

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赤き手袋

「遊べよと」という率直さがよいし、それをうけての詠み下しの叙法も理に適っている。言葉と調子の呼吸がぴったりしているので、乱れがない。清々とした気分で、大いに遊ぶがよかろう。自在な句がそこからなお生まれてこようというものだ […]

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記念樹

安田直子さんは温かい距離感をたたえた人である。 俳句は思索という立場から詠まれているが、単に思索のための句ではなく共感させる力を持っている。「知と温かさ」と言えばよいだろうか。 大牧 広(「序」より)

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東歌

人はいつも胸中にことばの種を持っている。言わねばならぬ、言わざるを得ないことばである。それはいつの日か言葉へと育って、外へ播かれねばならない。幾歳になってもそうなのだ。生涯俳句とはそういうことだ。 田代朝子

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青林檎

人はいつも胸中にことばの種を持っている。言わねばならぬ、言わざるを得ないことばである。それはいつの日か言葉へと育って、外へ播かれねばならない。幾歳になってもそうなのだ。生涯俳句とはそういうことだ。 田代朝子

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一羊子は三歳のころから漢学者であり蘭方医であった祖父より『論語』の手ほどきを受けたと聞いています。祖父の住居である「二竹楼」の縁側で机をへだて祖父は大きな座布団でどっかりと対座し、一羊子は足は痛いし何が何やらさっぱりわか […]

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